3-3鉄鋼構造物 (1)橋梁 広島市は河川に恵まれ、広島県は多島海である瀬戸内海に面しているので、橋梁の需要が多い。 現在までインフラ整備の進展に伴い数多くの、その時代の先端を行く橋梁が架設されている。 県内メーカーが参画して、規模、構造、施工法などで世界的なリード役を果たした橋梁も数多い。 量においては全国生産量の約7%を県内で生産している。 橋梁生産と溶接の関係を歴史的に見ることにする。
●昭和20年代 昭和24年に全溶接橋「恵川橋」(全長36m、幅9m)が大竹市玖波町に完成した。 これは、我が国で初めての突き合わせ溶接を採用したもので、以前はすべて重ね継手で溶接橋の利点である重量軽減を十分生かしきれていなかった。
恵川橋
昭和27年には「平和大橋」、「みどり橋」と市内には全溶接橋が完成し、特に「みどり橋」ではアイソトープが初めて溶接の検査に用いられた。
平和大橋
●昭和30年代 新幹線や高速道路の建設に伴い、橋梁の建設量はこれまでの全国建設量5万トンから30万トンに飛躍的に拡大し、使用された溶接法も、これまでの手溶接から自動溶接、グラビティ溶接へと進化して、溶接比率も飛躍的に拡大した。 また、使用鋼材も50キロ、60キロ高張力鋼が採用され、橋梁の重量軽減に貢献したが、それらの溶接部の信頼性確保のために種々な努力と工夫が払われた。 代表的なものに昭和36年完成の「新己斐橋」がある。 太田川放水路に架かる当橋は外主桁を現地溶接している。 この橋は路面電車との併用橋で10主桁連続鈑桁で、鋼材重量も3千トンを超える。 この橋では実物大の主桁断面の実験桁を作成して、現地溶接の収縮量を調査し、橋長を決定した。
新己斐橋
音戸大橋(昭和36年完成)は、呉市と音戸を結ぶアーチ橋で、当時は海上に架かる橋としては、最初の長大橋である。 航路部の確保と土地の高度利用のためアプローチはループ形式が採用されている。 音戸の瀬戸は平清盛の伝説と周囲の景観から呉市における観光地として市民に親しまれている。
●昭和40年代 鉄橋生産量は60万トンに達したが、オイルショックに伴う公共事業抑制で昭和50年には35万トンに減少した。 この時代には、フローチィングクレーン利用による大ブロック架設法が開発され、工期短縮、省力化、工事中の安全確保等に飛躍的改革が見られた。 溶接技術としても、工場製作により片面自動溶接、狭開先自動溶接が可能になり、CO2ガスアークによる半自動溶接が大幅に採用された。
大ブロック架設法
広島大橋(昭和48年完成)、呉-広島間に架かる鋼床版箱桁の大型橋梁である。 クレーン船による海上一括架設のため、路面鋼床版を効率的に高品質で溶接する技術、片面サブマージド溶接工法が採用された。 特に、この橋は塗装に厳しく、海上部の塗装は下塗りに無機ジンクを採用し、厳しい管理が要求された。 色は広島の牡蛎をイメージしてオイスターホワイトに決定した。
広島大橋
●昭和50年代 オイルショックの後遺症、造船不況等激動の経済不況を経験したが、橋梁建設業界は本州四国連絡橋 児島-坂出ルートの総工費1兆円を越す大プロジェクトがスタートしたお陰で、他業界に比較して仕事量は確保された。 橋梁は単に機能を達成するだけでなく、周囲の景観との調和、美的感覚が要求される時代となり、そのためか、景観の素晴らしい斜張橋の採用が多くなってきた。 瀬戸大橋に関しても、吊橋3橋、斜張橋2橋の幾何学的景観は世界に誇れる日本の建造物である。
因島大橋(昭和58年完成)、本州四国連絡橋の尾道-今治ルートの中の一橋である。 この橋は関門橋を抜き、日本一の座を獲得したが、昭和60年大鳴戸橋が完成するまで僅か2年で王座を明け渡した。 周囲の景観とマッチして、瀬戸内海国立公園の中でもう一つの名所が誕生した。
因島大橋
瀬戸大橋
溶接技術はCO2溶接がソリッドワイヤからフラックスコアードワイヤに変わったのは溶接能率、品質に大きく貢献している。 また、サブマージドアーク溶接も2電極の高速ユニオン溶接、多軸ロボット自動溶接の導入等、各種自動溶接機が開発された。
●平成時代 今世紀を代表する橋梁は世界最大の「明石海峡大橋」で平成10年に完成した。 世界最大支間のイギリスのハンバー橋(英国)の中央支間1,410mを遙かに凌ぐ1,990mの支間長で世界最大である。 我が国の橋梁技術の粋を結集し、文字通り夢の21世紀への架け橋の現実に向けて着々と建設が進められた。 特に高さ283m・主塔は1万分の1の精度が要求されるが、日本の橋梁メーカーの最高技術を集めて挑戦した結果5万分の1が達成され日本の橋梁技術の高さが証明された。
明石大橋
多々羅大橋(平成11年完成) 本州四国連絡橋の尾道-今治ルート(しまなみ海道)の中の一橋で、広島県と愛媛県を結ぶ橋である。 フランスのノルマンディ橋を抜いて世界一の斜張橋となった。 特に主塔の製作は形状が複雑で吊橋の主塔とは違った難しさがあった。 これら瀬戸内海の渡海橋の建設には、広島県の橋梁メーカーが大きく貢献している。
多々羅大橋
溶接においても、各種溶接ロボットの開発導入並びに、メカトロ、CAD/CAM化が進み、FA化がクローズアップし、コストダウン、高品質均一化、作業環境の改善に大きな変革をもたらした。 橋梁は交通に欠かせない重要な社会資本である。 最近起こってはならない橋梁の破壊事故が海外で発生した。 従って完工時において溶接部の品質が保証されていることは勿論、供用中の品質監視、異常の早期発見などのシステムが完成されることが今後の課題といえよう。